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【書評】ミステリーである意味 〜ψの悲劇 著森博嗣〜

 

 

こんにちは。

tadashiです。

 

 

 

初の書評。

今回は、森博嗣著「ψの悲劇」という小説を書いていきます。

※すべてに渡ってネタバレを含みます。

 

 

 

 

作品について

森博嗣は「すべてがFになる」というミステリー小説で衝撃的なデビューを果たした元国立大学の助教授です。建築の材料関係の研究をされていたということで、小説内にも実際の物理現象や建築的描写など、これまでと違った作風から「理系ミステリィ」と呼ばれていました。

私は森博嗣という作家に高校生で出会い、理系に進もうと決めたので、わりと人生の方向性を決めた大きな要素の一つです。

これまで文庫で出ているものはほぼすべて読んでいて、森博嗣の作品を読み始めてからもう15年以上の月日が流れていることに驚きと喜びを感じてしまう。

 

さて、私が初めて読んだ作品は「すべてがFになる」でした。

高校2年生だったと記憶しています。それからこの作品がコミカライズされ、アニメ化され、実写ドラマ化までされました。驚きです。

 

森博嗣の作品にはシリーズがいくつかあり、そのシリーズが時間軸のどこかで交わっていて、かつ現実からSFまで様々な場面を織り交ぜて、読者の脳内を無惨にも混乱させ、ひきつけていく魅力があります。

彼の作品にはS&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、百年シリーズ、あとスカイ・クロラシリーズなどのシリーズがあり、作者がこれをどこまで最初から思い描いていたのか怖くなります。

ぜひどこからでもいいので読んでみてほしいです。

 

あらすじ

「ψの悲劇」は、Gシリーズの後期3分作の2作目となります。(Gシリーズは全12作)

Gシリーズを読んでいる方ならわかると思いますが、前半の9作とは大きく時間軸も登場人物も異なります。

文庫本で読んでいると前作からの間が大きく空いていて、その世界観の違いに戸惑ってしまいます。

 

今作ではとあるお金持ちのお宅で事件が起きます。

家の主である老博士八田洋久が遺書のような手紙を残して失踪。

失踪から一年後、洋久と親しかった人々が八田家に集まり、実験室に入るとコンピュータの中に「ψの悲劇」という名前の小説とノートに書かれた“真賀田博士への返答”というメモが発見されます。

その夜、八田家に悲劇が…

 

洋久に仕えていた執事の鈴木の語りで物語は進んでいきます。

鈴木が見たもの、聞いたものしか小説の中では書かれず、まったく関係のなさそうな島田文子についても鈴木の視点で語られるだけでした。

 

悲劇はもちろん殺人事件。

ミステリーでは定番です。

夜、実験室で八田洋久の主治医であった吉野医師が花瓶で頭を殴られ死亡していたのです。

八田洋久には妻がいて、その妻は吉野医師の元で亡くなってしまっている。

 

これだけ読むと殺人事件はだれが花瓶を掴んで吉野医師を殴ったかは別として、吉野医師を殺そうと企んだのはだれかというところは簡単にわかりそうなものですね。

 

 

島田文子の役目

この物語で重要な登場人物の一人は当然、突然失踪した八田博士です。

しかし、森博嗣読者の視点から見た重要人物はもちろん島田文子となります。

 

八田家で起きた事件は、いつの間にか捜査も緩やかになり、この小説の中でもどんどんと語りれなくなります。(主題が殺人事件から離れただけで最後までなんとなくこの殺人事件は語られます)

 

物語の中盤から話の展開は、“島田文子の実験”がメインになります。

この実験は八田洋久が失踪した理由とも重なり、かつ、今後の人類の生存という観点から恐ろしい未来を見せてくる話でした。

 

まず、鈴木は人間ではない

小説の中で、鈴木は2年前から八田家に来たが、それ以前のことは覚えていないと語っていた。

しかし、実際は覚えていないのではなく、そもそもがない、存在しない

2年前に鈴木が作られ、八田博士のそばに置いたのである。

また、島田文子もとうに元々の肉体は失っている。今回、八田家に現れた島田文子は体は別のニュータイプの島田文子なのだ。

 

 

”鈴木が警察からマークされている”

 

”今回の吉野医師殺害の犯人として疑われている”

 

ということで島田文子が、鈴木を警察から逃がす描写が後半は描かれる。それと同時に鈴木が“何者なのか”ということを思い出させるのが後半のメインテーマ。

もう殺人事件はどこかに消えてしまった

 

 

結論から言うと鈴木は、八田洋久の肉体から切り離して新しい体に取り込んだロボットで、島田文子はその鈴木の様子を確認しに来ていたのだ。

 

物語のラストではさらに驚くような八田洋久の秘密も。

これは最後まで本を読んで自分の目で見てほしい。

もちろん真賀田四季(本当に四季なのかはだれにもわからないが)も出てくる。

 

 

話が飛びすぎて追いつけないが森博嗣ファンであれば十分対応可能だ。

 

それは百年シリーズや四季シリーズを読んでいれば、森博嗣が小説として物語として描こうとしている人類の未来の終着点は肉体を超越したものだとわかっているからだ。

 

また、島田文子が出てきたことで前半部分の退屈(?)な殺人事件の描写にも、読者の期待を残し、読み進めることが可能となるし、彼女の会話のテンポがやはり森博嗣作品であると安心させてくれる効果をもたらたし。

その点で、森博嗣作品によく出てくる会話のテンポとジョークに一定のずれを生む女性キャラクターはなくてはならない存在だ。

 

 

殺人は人しか思いつかない

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

ψの悲劇を読んで思うことがあります。

 

 

“殺人事件が発生した意味はどこにあるのだろう”

 

 

作者はこれまで“肉体の意味”について小説の中で語ってきました。

 

肉体にどんな意味があるのか、なぜ人は肉体にこれまで固執するのか、と。

 

森博嗣作品は、小説の中盤まで事件が起きなかったり、殺人事件が登場人物の推理だけで語られ真実はわからなかったりすることも多くはありません。

それでもミステリーとして必ず事件を起こしていくのは、“人間としての思考”を表現する必要があるからだと私は理解しています。

 

特に今回の事件は、八田洋久の妻への思いが起こした殺人事件のように読み取れる内容でした。

その八田洋久は、自分の頭脳をコピーし、鈴木を作り、孫の将太にまで頭脳を取り入れた。自ら肉体を捨て、人間であるかも判別のつかない存在になろうとした。

 

いずれやってくる頭脳だけを持った“入れ物”が人間を凌駕する時代に、人間が唯一抵抗できるのは人間としての意志だ。

 

頭脳さえコピーすればいくらでも自分を作り出せるのに、人とそれ以外を区別できるのは人を殺そうとする意志

入れ物を殺したって頭脳は残るが、やはり人間にはどうしてもその入れ物を殺したいという感情がある。

 

その感情を見せるために、森博嗣はこれからも殺人事件を起こし、ミステリーとして我々を混乱させてくれるだろう。

 

 

※本作は、エラリー・クイーンの悲劇シリーズにかけています。

Xの悲劇→χの悲劇

Yの悲劇→ψの悲劇

のように。(引用もエラリークイーンの翻訳を載せています)

 

はるか昔にXの悲劇は読んだような記憶が…

少なくともこちらの作品も呼んだ方がより楽しめる作品になるようです。

 

 

たまにはこういったサッカー以外のレビューも面白いなと思いました。

 

森博嗣に興味を持った方はぜひ仲良くしましょう。

 

それでは!